「加害者にも痛みや背景がありますよね」なんて、とんでもないキレイごとだと思ってた。
「加害者にも痛みや背景がありますよね」なんて、とんでもないキレイごとだと思ってた。
なぜなら、、と語りたいところですが、
私の言葉ではなく、応援しているNPO団体"かものはしプロジェクト"の年間報告書の一部を撮ったものです。
子どもが売られない世界をつくる | 認定NPO法人かものはしプロジェクト
コーチングに携わっていると、”全ての行動には理由や思いがある” ことが染みついてきます。
なので、言っている事はわかります。ここに達したいという気持ちもあります。
でもね。この記事では人身売買で子供を騙して売る人や、虐待する親、のことを指して加害者と言っています。考えるだけでも辛くなる話題。頭では分かっていても、被害者側のことを思うと、怒りや負の感情が先立ってしまいます。どうしても”キレイごと感”がぬぐえません。
自分、まだまだだなぁ、とは思いつつ、思いが巡るので、ここに出してみます。
私はもともと戦い系の映画やアニメなどの作品があんまり好きではありません。
それは、見てて痛いのはもちろん、戦い=お互いを傷つけ合っていることへの違和感や、"正義が悪を倒す" の構図への違和感があってザワザワします。
子供用の作品だと特に、わかりやすく正義と悪が分かれていて、悪い奴はやっつけなきゃいけない!みたいになってる。
いい人間でいろ、そのメッセージは大切だと思います。
でも正義って何?
このヒーローにとっての正義は、ある種の人にとっては正義でもなんでもないかもしれない。悪にもなりうるかもしれない。
宗教戦争とかはそのもので、お互いが自分の正義を守るために戦っている。相手は自分にとっての悪。でも、第三者から見たら、どっちも傷つけあって、どっちも悪になりかねない。
その行動は許されるものではない。
ただ、そこに至る背景はやっぱりあるんでしょうね。
その人の正義が脅かされていたり、
満たされない何かを埋めるためだったり、
何かへの恐怖心だったり、、
その背景や痛みが、その人を加害者にしてしまう前に、何かできることがあったのかもしれない。ただしたことを罰するのでなく、その背景に目をやることで、再犯を防げるかもしれない。未来の加害者を食い止める何かにつながるかもしれない。
「加害者にも痛みや背景がありますよね」
やっぱりキレイごとだけでなく、真実なんだろうな。そこを感情で片付けることなく、しっかり向き合える人が、将来的な被害者を減らしていくんだろうな。
まだその域まで達せてないけども、
今の自分には何ができるんだろう?
きっと、自分自身や身近な人が加害者になってしまうかもしれない痛みを癒すこと、と思う。
誰にでも痛みはあります。それはみんながそうなので、マイナスでも悪いわけでもないけど、、それを自分で認識してコントロールできないと自分自身も辛いし、周りにも迷惑をかけているかもしれない。
まず、自分自身の痛みに向き合うこと。
家族、友人が痛みを感じているのに気がついたら、話を聞く。
コーチとして、クライアントさんの痛みを一緒に見つけたり、その痛みとどうやって付き合っていくかを一緒にさがす。
(あまり深い痛みはカウンセリングの領域かもしれませんが。)
加害者も被害者も減らす小さなアクションになるかもしれない。
痛みは誰にでもあり、そこを乗り越えた人が増えたら、その人も、周りの人もHappyになれる。さらには、その周りの人もHappyになっていく、そんなプラスの連鎖が世界を平和にしていくと信じています。
やっぱり被害者を思うと、完全に心から「加害者にも痛みや背景がありますよね」と言えないのが正直なところですが、その意識は残しておきたいと思いました。
頭と心をリンクさせるのって簡単ではないなぁ…